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平城山丘陵の古墳めぐり

2018/01/17 08:49
2018年1月17日

昨年末30日に歩いた大阪府の「古市(ふるいち)古墳群」に続いて、今回は奈良市の平城宮跡(へいじょうきゅうせき)と、私の住む京都府木津川市との間に広がる平城山丘陵(ならやまきゅうりょう)に点在する「佐紀楯列(さきたてなみ)古墳群」を歩いてきた。

何もこんな寒い時期に・・と思われるかもしれないが、私の場合は”歩くことが主体”なので汗をかかずにすむ冬の季節がよく、一昨年は石仏巡り、昨年は京都の町歩き、今年は古墳巡り・・と対象を変えながら3〜6時間程ポクポク歩いている。

平城宮跡の駐車場に車を置き、古い村中の細道を北に進んでから東に向かい、御前池を囲むように点在する神社を巡りながら北上して「瓢箪山(ひょうたんやま)古墳」に向かう。
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この古墳は墳丘長96mの前方後円墳で、東側に周濠をもち、調査によって墳丘には葺石(ふきいし)がふかれ、埴輪が置かれていたことが分かっていて、1913年(大正2年)に前方部で土砂取りが行なわれた際には100cm×60cmの長円形の「粘土槨(ねんどかく:粘土でできた覆い)」が検出され、内部から琴柱(ことじ)型石製品3点が出土しているとのこと。

画像瓢箪山古墳の西隣には、墳丘長207mの「日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)陵」が隣接していて、拝所に行くと、周濠には満々と水が湛えられていた。

日葉酢媛命は第11代「垂仁(すいにん)天皇」の皇后で、「日本書紀」には皇后の葬儀に際し、天皇は野見宿禰(のみのすくね)の進言により殉死の風習を禁じ、陵墓に土製の人馬などを埋めさせた・・とあり、これが埴輪の起源になったとされている。

画像そこから南西に200m程離れた第48代「稱徳(しょうとく)天皇陵」に向かうが、墳丘長127mの古墳は東向きなので、西側の拝所に行くには結構距離がある。

稱徳天皇は第45代「聖武(しょうむ)天皇」と「光明(こうみょう)皇后」の間に生まれた皇女で、749年に聖武天皇に皇位を譲られて第46代「孝謙(こうけん)天皇」として即位。

その後、758年に第47代「淳仁(じゅんにん)天皇」に譲位したが、764年に起こった藤原仲麻呂の乱(孝謙と道鏡に対して軍事力で対抗しようとしたが失敗)を収拾すると、淳仁天皇を廃して、再び「稱徳(しょうとく)天皇」として即位し、770年に死去。
 
車道を北に進むと右手に石段が見え、上がっていくと日葉酢媛命の孫である第13代「成務(せいむ)天皇陵」の拝所に出た。
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墳丘長218mの巨大な前方後円墳だが、成務天皇の実在性については不確定で、平安初期には神功皇后陵とされていたらしい。

何度か盗掘された記録によると、竪穴式の石室に長持形の石棺が納められているとのこと。

画像隣り合う成務天皇陵と日葉酢媛命陵の間を北に進むと、日葉酢媛命陵古墳のくびれ部に祭祀を行うための”造り出し”が良く残されていた。

道なりに進んで近鉄線を渡ると、赤鳥居の福松神社という稲荷社があり、左に進んで八幡神社に詣で、時計回りに進むと「神功(じんぐう)皇后陵」の拝所に出た。

墳丘長273mの前方後円墳は、佐紀盾列古墳群の中で最大かつ全国でも12番目の規模を誇り、過去に成務天皇陵や日葉酢媛命陵とされたこともあったらしいが、現在は神功皇后陵に比定されている。
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神功皇后は第14代「仲哀(ちゅうあい)」天皇」の皇后で、仲哀天皇が急死した時に、後の応神天皇を身ごもったまま三韓征伐に出征・指揮した・・などの逸話で知られるが、創作上の人物とする説が有力とのこと。

古墳を半周してから来た道を戻って近鉄線を渡り、西に進んで「塩塚(しおづか)古墳」を訪ねる。

画像墳丘長105mの前方後円墳だが、周濠は前方部にはなく後円部を中心に馬蹄形に存在し、1956年に行われた後円部の発掘調査では、木棺を蓋っていた粘土槨の一部の他、鉄剣、鉄刀子、鉄斧、鉄鎌などの遺物が出土しているとのこと。

ここから南西に向かい、途中の「葛木(かつらぎ)神社」に立ち寄った後、第51代「平城(へいぜい)天皇陵」 へと進む。

平城天皇は平安京へ遷都した第50代「桓武(かんむ)天皇」の長男だが、何故か陵墓は奈良にある。

調べてみると、桓武天皇は弟の「早良親王(さわらしんのう)」を排除してまで、長男の安殿親王(後の平城天皇)を皇太子にすえたが、安殿親王は彼の妃の母である「藤原薬子(ふじわらのくすこ)」を愛し、桓武天皇が激怒して薬子を朝廷から追い出すが、桓武天皇が崩御して平城天皇に即位すると再び薬子を呼び寄せる。

画像やがて薬子が政治に口を挟むなどして政治が混乱したことから、平城天皇は僅か3年で病気を理由に弟の「嵯峨(さが)天皇」に譲位して上皇となり、故郷である平城京に戻ったが、ここで「平城京遷都の命」を出して挙兵する・・という暴挙に出て、わずか6日で破れ、平城上皇は剃髮して仏門に入り、薬子は服毒自殺した・・といわれる。

平安時代の天皇の陵墓で京都以外にあるのは、平城天皇の他、保元の乱(1156年)に敗れて讃岐に配流された第75代「崇徳(すとく)天皇陵(香川県)」と、壇ノ浦の合戦(1185年)で二位尼(にいのあま:平清盛の正室)に抱かれて海に沈んだ第81代「安徳(あんとく)天皇陵(山口県)」の3人だけで、いずれも悲劇的な天皇・・。
 
画像ところが話しは複雑で、平城天皇陵はかつては全国最大の円墳と考えられてきたが、昭和37年からの発掘調査により、元々は前方後円墳だったものを平城京築造の際に前方部が取り壊された・・ということが判明したため、この古墳を平城天皇の墓とするのは無理がある・・というから何ともややこしい。

平城京跡に復原された第一次大極殿の裏側を通って駐車場へと戻る。
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竹林間伐(1月)

2018/01/15 08:53
2018年1月15日

昨日は、私が所属する竹工房の会員8名で、定例の竹林間伐作業を行った。
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氷が張り、薄っすらと雪の残る寒い天候ではあったが、工房から竹林まで15分程歩いてウォーミングアップし、間伐を開始するとすぐに汗ばんでくる。

画像作業は、新たに倒れ掛かった竹を切り倒し、未整備の竹林を埋めている古い倒木を取り除く・・ということを繰り返していて、「三歩進んで二歩下がる・・」という感じだが、こればかりはどうしょうもない。

休憩を挟んで90分程の作業を終えると、私と女性会員の方とで積み上げた倒木の高さは1.5mを超えていた(写真下)。

今年も事故なく、作業を継続していければ・・と願う。
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高見山に霧氷を見に行ってきました

2018/01/13 09:41
2018年1月13日

昨日は寒さで目が覚め、天気予報ではこの冬一番の冷え込みで、日中も4-5度までしか上がらないとのことだった。

私が冗談半分で「高見山の霧氷はできているかなぁ〜」と言うと、家内が「行ってきたら・・」というのでその気になり、急ぎ準備して8時半に家を出たが、5分程すると家内から「玄関に登山靴が置いてあるけど大丈夫・・」とのメールがあり、「靴を忘れるようじゃ山に登る資格はないよなぁ・・」と我が身を罵りながら家に戻る。
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高見山には毎年登っているが、道中の雪は今回が一番多く、アイスバーンの道を慎重に走って杉谷登山口手前の路肩に車を止めた(標高450m)。

10時15分に歩き始め、踏み跡のない雪道を1時間登って小峠の鳥居の前へ。
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峠からは雑木尾の急登が続き、積雪はすぐに15cmを超え、美しい霧氷が頭上を覆う。

15分の頑張りで主尾根に上がると、北西の”たかすみ温泉”側からのルートに合流し、そこからは踏み跡があった。

国見岩を過ぎると(12時)積雪は30-40cmになり、吹き溜まりでは60cmを超え、重く垂れさがった木々を避けるようにジグザグに登って行く。
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雑木尾を抜けると突然目の前が開け、霧氷を纏った木々が白く輝き、目の前には巨大な”エビの尻尾”が成長していた。
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あちらこちらとカメラを向けながら進み、避難小屋にザックを置いて山頂へ(12時35分)。
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高見山山頂(1249m)に建つ高角神社の避雷針のエビの尻尾は昨年より小さく見えたが、今回は霧氷が蒼空に映えて実に美しい。
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避難小屋におられた6人の方は全員”からすみ温泉”側からの登山者で、杉谷登山口には駐車場がないというのが理由だった。

土・日曜は霧氷バスもでるので、明日、明後日は大勢の登山者で賑わう事だろう・・と思いつつ、雪尾根を滑るように下って行った。

「氷点下の寒気が刺さる霧氷林」(山楽)

■行動時間:4時間(内、休憩等30分)
  杉谷登山口→(60)→小峠→(80)→高見山(30)→(70)登山口

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アマリリスが咲きました

2018/01/11 09:39
2018年1月11日

写真のアマリリスは、昨年末に家内が「お正月に咲くかも・・」と買ってきたもので、三が日には間に合わなかったが、松の内七日頃から開花し始めた。

画像花はユリに似た花径15cm程の六弁花で、鉢からスッと立ち上がる太い茎先に横向きに咲き、艶やかな姿は見応えがあり華やか・・。

調べてみると、アマリリスは、ヒガンバナ科ヒッペアストルム属の植物の総称で、原種は中南米・西インド諸島に約90種があり、数百種類の園芸品種が作り出されていて、色も白・赤・薄紅・淡黄など多色で、球根には八重咲きのものも多い・・とのこと。

球根なのでうまく管理すれば来年も咲くそうだが、我が家の事例からは難しいかも・・。
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竹で買い物籠を編んでみました

2018/01/10 09:16
2018年1月10日

私が所属する竹工房では、月一回の竹林間伐活動とその間伐材を使ってた竹細工を楽しんでいて、以前からお二人の先輩が本を見ながら”買い物籠”を作っておられたので、私も見よう見まねで写真の籠を作ってみた。

画像大変だったのはやはりヒゴづくりで、長さ4-5mの真竹(まだけ)と格闘しながら割り剥ぎを繰り返し、幅12mm前後になった所で、表面の皮を鉈で薄く剥いで”磨き”をかける。

その日に出来たヒゴは輪っかにして保管し、翌日また割り剥ぎを繰り返しながら、3日かけて幅3mm、厚み0.8mmの磨きヒゴ20本の他、骨ヒゴ、底板、力竹、縁巻きヒゴ、取っ手・・などの材料を準備。

画像籠編みは、これまでザル籠などを編んでいたので何とかクリアできたが、縁巻き工程で節の所がうまく巻けずに、二か所で折れたような(角が立ったような)形になってしまったのは残念。

本には、節の部分は折れやすいので割りを入れておくとよい・・とあったのを忘れていた。

二人の先輩からは「初めてでこれだけできれば上出来・・」と慰めていただいたが、とりあえず自分で使うことにし、次回作に期待したい。
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猫はストーブがお好き

2018/01/08 09:30
2018年1月8日

我が家の2歳8ケ月になる茶々丸は、道路に面した窓が指定席になっていて、体が冷えてくるとストーブの前にやってきて、体が温まると窓に戻る・・・という事を何度も繰り返している。

画像そんな姿を見ていると、昔懐かしいウルトラマンのカラータイマー(エネルギー残量表示システム)がピコピコと鳴っている場面を連想してしまうが、その内、ストーブの前でゴロリと横になってお休みタイム・・。

以前なら、寝ている横を私が通ると、目を開けたり耳を動かしたりしていたが、最近はピクリともせずゴロニャーンとしている。


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古市古墳群(2)

2018/01/06 08:52
2018年1月6日

昨年末30日に、近鉄高鷲駅から古市(ふるいち)古墳群を歩き始め、北の「津堂(つどう)城山古墳」から、4Km程南下して「白鳥陵(はくちょうりょう)」古墳へ。

画像古墳は墳丘長190mの前方後円墳で、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の陵墓伝承が残る。

日本武尊は、伊勢国(三重県北中部)の能煩野(のぼの)というところで戦死し、白鳥となって高天原に向かう途中、ここ古市に立ち寄ったことから、この地が「白鳥陵」と伝えられ、その後、羽を曳くように飛び立ったことから、この地を羽曳野(はびきの)と呼ぶようになった・・とのこと。

濠に沿った遊歩道を通って車道に出て、道なりに南西方向に300m程歩いてから、近鉄電車の古市車庫を南から東へ回り込むように進み、国道170号線の高架で近鉄長野線を越え、坂を下りるとすぐ左に第7代「安閑(あんかん)天皇陵古墳」の拝所があった。
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墳丘長122mの前方後円墳で、周囲を囲う濠には満々と水が湛えられ、島のごとく浮かぶ姿は堂々として立派。

御陵の北側を抜けて車道と合流し、北に進んで近鉄南大阪線を渡って古市駅に向かうと、駅の手前に「白鳥(しらとり)神社」があったので立ち寄る。祭神は日本武尊。

近鉄古市駅から西に100m程進んでから300m程北上すると、道路脇にある一辺37mの「西馬塚「(にしうまずか)古墳」に出会う。

この方墳は隣接する「墓山(はかやま)古墳」の陪塚とされ、その墓山古墳は400m程離れたところにある第十五代「応神「(おうじん)天皇陵古墳」の陪塚として宮内庁に管理されているとのこと。

画像すぐ先にある「向墓山(むこおはかやま)古墳」も墓山古墳の陪塚で、二段に構築された墳丘は68m×62m×高さ10.7mの方墳。

そして「墓山(はかやま)古墳」は、墳丘長225mの前方後円墳で、周囲には幅15mの濠と堤を巡らせ、墳丘のくびれ部の両側には”造り出し”がある。
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”造り出し”とは、納棺後の祭祀(追善供養)を行うための場であったと考えられていて、全国で4600基あるとされる前方後円墳のうち、造り出しのあるものは100基程度で、その約半分は奈良・大阪の大型古墳で確認されているそうだ。

墓山古墳のすぐ北側にあ墳丘長154mの「野中宮山(のなかみややま)古墳」にも、発掘により前方部の南側に造り出しが確認されているそうだが、周濠の南側部分は埋め立てられて公園になっている。

公園の西外れにあった野中神社に立ち寄ってから北に回ると、北側の周濠には水が湛えられていた。
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さらに北に100m離れた墳丘長103mの「はざみ山古墳」にも、前方後円墳の両側に造り出しがある・・との解説があった。

そのすぐ先にある第15代「応仁(おうにん)天皇陵古墳」は古市古墳群における最大の前方後円墳で、墳丘長425m、後円部直径250m、後円部高さ35m、前方部幅300m、前方部高さ36mという規模を持ち、百舌鳥古墳群の第16代「仁徳(にんとく)天皇陵古墳」に次いで国内で2番目の大きさを誇る。
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周辺には古墳が多く、拝所の北側にある「大鳥塚(おおとりづか)古墳」は墳丘長110mの前方後円墳。
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また、拝所への参道左手にある径50mの「誉田丸山(こんだまるやま)古墳」の円墳からは”金銅装馬具類”が出土し、国宝に指定されている。

応仁天皇陵古墳の前方部の東角から住宅街を南に回り込むと、周濠に食い込むようにして、墳丘長110mの「二ツ山古墳」が寄り添っていた。

そこから西名阪の高架を潜って北西に進むと、道路の西側に墳丘長150mの「古室山(こむろやま)古墳」が、東側には墳丘長290mの「仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳」があった。
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共に前方後円墳だが、古室山古墳は宮内庁管轄ではないので立ち入りは自由。
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応神天皇の皇后であった「仲姫命陵」は、古市古墳群では応神天皇陵古墳に次ぐ規模で、全国でも10位の巨大古墳。

西側の周濠に沿って歩き、近鉄土師の里駅の手前で「鍋塚古墳」という1辺50mの方墳を見てから、線路を越えた先にある第19代「允恭(いんぎょう)天皇陵古墳」へ。
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允恭天皇は最初に訪れた「雄略(ゆうりゃく)天皇」の父親で、御陵は周囲を濠に囲まれた墳丘長228mの前方後円墳。

予定ではここから帰るつもりだったが、少し時間があったので、400m程南にある「道明寺天満宮」と「道明寺」に向かう。

伝承では、この地は、菅原氏・土師(はじ)氏の祖先に当たる野見宿禰(のみのすくね)の所領地と伝え、天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る「土師(はじ)神社」があり、仏教伝来後、土師氏の氏寺である「土師寺」が建立され、当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模な寺であったそうな。
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そして、菅原道真(845-903)の死後、寺名は道真の号である「道明」にちなんで「道明寺「」と改められ、「道明寺天満宮」の神宮寺となり、明治5年(1872)の神仏分離により、道明寺天満宮境内から現在地に移転した・・とのこと。

境内では、新年を迎えるための準備や露店の組み立てが行われており、参拝して「土師ノ里駅」に向かう。

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古市古墳群(1)

2018/01/05 09:35
2018年1月5日

昨年末の30日に、大阪府堺市にある国内最大の「仁徳天皇陵(墳丘長:486m)」から、東に10Km程離れた古市(ふるいち)古墳群を歩いてきた。

この地区には120基に及ぶ古墳が残存し、仁徳天皇の父で、仁徳天皇陵に次ぐ墳丘長425mの「応神(おうじん)天皇陵」を始め、墳丘長が200mを超える古墳が7基もあるとのこと。

画像JR天王寺駅で近鉄南大阪線に乗り換え、高鷲駅で降りて北に向かって歩き始める(9:00)。

この辺りの宅地は小規模開発のためか行き止まりが多く、行ったり来たりしながら第21代「雄略(ゆうりゃく)天皇陵古墳」へ。

東側の拝所で手を合わせ、古墳の北側に回ると池に囲まれた円墳が見えてきた。
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航空写真では前方後円墳のようにも見えるが、この雄略天皇陵は「高鷲丸山(たかわしまるやま)古墳」という径76mの円墳と、池を隔てた東にある「平塚(ひらつか)古墳」という一辺50mの方墳が、文久年間(1861-1864)の修復の時にくっつけられ、これを明治になって宮内庁が雄略天皇陵に指定した・・という、いわくつきの古墳。

そもそも、宮内庁が天皇陵として指定している古墳は、歴史学的、考古学的に検証されているものはないので参考程度にする外ないのだが・・。

画像そこから北東800m程の地点にある「津堂城山(つどうしろやま)古墳」も、戦国時代に三好氏の砦として城が築かれたことで墳丘の形が大きく崩れてしまい、その後、周濠部分の多くは農地として利用されたことなどから古墳であったことが忘れられ、地元では山城跡として伝承されてきた・・。

ところが、明治45年(1912)に古墳の後円部から巨大な石棺が現れたため、宮内庁は円墳の頂部だけを陵墓参考地(被葬者を特定する資料に欠ける陵墓)に指定し、その後の調査・研究により、墳丘長208mの前方後円墳で、二重の濠と堤をめぐらせた総長は436mにもおよぶ巨大古墳であったことが判明・・といった具合。

柵で囲われた頂部以外は立ち入り自由なので、古墳の上を歩いて円墳側にある「津堂神社」に寄ってから、南に1Km程進んで近鉄線を渡り、商店街を抜けると右に「辛国(からくに)神社」、左に「葛井寺(ふじいでら)」があった。
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葛井寺は神亀2年(725)、聖武天皇の勅願で行基が創建したとされ、本堂に安置される「千手観音坐像」は国宝で、寺名は現在の「藤井寺」の地名の元になったといわれている。

朱塗りの立派な南大門を出て、辛国神社の長い参道を進むと、境内には「茅の輪(ちのわ)」が設けられ、年越しの準備が整えられていた。
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神社の縁起によると、この地方を治めることになった物部氏が神社をつくり、その後、辛国氏が祭祀をつとめて”辛国神社”と称するようになった・・とあり、辛国の名からも渡来系の氏族であることは想像に難くない。

画像参道を戻り、先の二股を右に進むと左手に「鉢塚(はちづか)古墳」が姿を見せ、住宅街を通って南側に回るとフェンスの扉があり、中に入ることができた。

鉢塚古墳は墳丘長60mの前方後円墳で、ここから南100m程の所にある「仲哀天皇陵古墳」の近親者や従者を葬ったとされる「陪塚(ばいづか」と呼ばれる小さな古墳である。

その第14代「仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳」に進むと、周囲を濠で囲われ、満々と湛えられた水に浮かぶように墳丘長245mの巨大前方後円墳が横たわっていた。
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古墳は、出土埴輪から古墳時代中期の5世紀末頃の築造と推定され、当時としては突出する規模であったらしい。

仲哀天皇は日本武尊の第2子で、皇后は神功皇后だが、非実在性の問題や古墳の築造年代等との関係から、現在では第21代雄略天皇などが被葬者として有力視されている・・とも。

そこから500m南下すると高野山真言宗の寺「野中寺(やちゅうじ)」があり、境内には三重塔跡や金堂跡などの礎石が残る。
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寺の山号は”青竜山”で、聖徳太子の命により蘇我馬子の創建と伝えられ、南北朝の兵火で焼失した後、寛文年間(1661〜1673)に再建、寺には丙寅年(666)の銘をもつ金銅弥勒半跏像があるそうだ。

また、境内には宝永7年(1710)に大坂でおきた心中事件をモデルに、歌舞伎や浄瑠璃の演目として仕立てられた「お染・久松の墓」があった。

画像寺を出て、車道を東に400m程進んだ辺りから下田池の縁を南に進むと、第24代「仁賢(にんけん)天皇陵古墳」で、周囲を濠に囲まれた前方後円墳の墳丘長は122m。

資料によると仁賢天皇陵は江戸時代に行われた元禄探陵において所在不明とされたが、河内の学僧覚峰は、当時ボケ山古墳と呼ばれていた「ボケ」を、仁賢天皇の別称である「億計天皇(おけのすめらみこと)」の「「オケ(億計)」の誤りと考証し、それらに基づいて幕末に現陵を治定した・・と、これもまた何とも微妙な感じ。

古墳の縁を通って南下すると「峯ケ塚公園」に突き当り、正面に「峯ケ塚(みねがづか)古墳」、その西側200mに「小口山(こぐちやま)古墳」が近接する。
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小口山古墳は径30mの円墳で、1912年(明治45年)の開墾によって発見され、その後の発掘調査では副葬品などは検出されなかったようだが、墳丘長96mの前方後円墳である峯ケ塚古墳からは、盗掘を受けていたものの、武器や武具、馬具、装飾品など500 点以上の副葬品が見つかったそうだ。

峯ケ塚公園からは、南東方向にこんもりと茂る「白鳥陵古墳」が見え、その背後に聳える二上山(雄岳:517m、雌岳:474m)の双耳峰が美しい。
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公園から南に300m程歩くと第22代「清寧(せいねい)天皇陵古墳」で、周囲を濠に囲まれた前方後円墳の墳丘長は115mで、古墳は前方部が極端に大きく広がった6世紀代の特徴を持っているそうだ、こればかりは上空から見ないと分からない。

北の津堂城山古墳からここまで、直線で4Km程の距離を2時間35分かけて南下してきたが、ルートはこから東に進んで「白鳥陵(はくちょうりょう)古墳」に向かう。(明日に続く)

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初詣とほっこりコーヒータイム

2018/01/03 09:51
2018年1月3日

元日は家族で新年を祝った後、家内と地元の神社に参拝し、昨日は地元の「浄瑠璃寺(じょうるりじ)」に詣でてきた。
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浄瑠璃寺前の駐車場にはツアーバスが3台も止まっていて、正月らしい賑わいを見せる。

九体の阿弥陀如来像(国宝)が安置された本堂の前で手を合わせ、池を巡って対岸の三重塔(国宝)に行くと、こちらでは薬師如来像が御開帳されていていた。
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帰りに家内がコーヒーを飲みたいというので、近くの”瑠璃”という喫茶店に寄る。

この辺りは私が長く歩くときの散歩コースでもあるので、数年前に喫茶店ができたことは知っていたが、まだ入ったことがなかった。

ドアの手前でスリッパに履き替えるという珍しいスタイルで、中に入るとアンティークなテーブルと椅子が配され、壁際にはたくさんのSPレコードと古い蓄音機、ピアノなどが並び、その雰囲気にピッタリな品の良いマスターに迎えられた。
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客は私達だけで、アンティークが好きな家内は「ステキ、ステキ」といいながらマスターにあれこれ尋ねている。

店内にはクラシック音楽が流れ、テーブルにはコーヒーとチーズケーキ・・。

「初詣ほっこりとする喫茶店」(山楽)







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猫の福顔

2018/01/01 09:43
2018年1月1日

明けましておめでとうございます。

画像昨年は何度も家から脱走したり、お父さんの大切な置物を倒したり・・と、大変ご迷惑をおかけしましたが、今年もよろしくお願い申し上げます・・と挨拶している(日向ぼっこしている)、我が家の2歳8ケ月になる”茶々丸”。

下の福々しい顔をした写真は、昨年12月に京都の下賀茂神社で撮らせていただいたもの。

最初に見かけた時は、ご高齢の女性が猫の縫いぐるみを抱いて歩いている・・と見間違えたほどで、カメラを向けても微動だにしなかった。

画像伺うと、歳をとって余り歩かなくなったので抱っこして散歩している・・とのことだったが、何とも味わい深い福顔しているではないか・・。

何もせず、ただそこにいるだけで周りの人を幸せな気分にさせてくれる・・、茶々丸も私もそんな好々爺になれるだろうか・・。

本年もよろしくお願い申し上げます。
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部屋の模様替え

2017/12/30 08:38
2017年12月30日

一昨日から、延び延びになっていた部屋の模様替えを行った。

画像何故かというと、趣味で陶芸や絵画などをやっておられる方なら同じ悩みを持っておられると思うが、作品が溜まって置き場所に困る・・というのがその理由。

私の場合は竹細工だが、新作を作る度に試作品が2個3個と溜まり、ダメなものは廃棄しているが、作品にはならないが捨てるには忍びない・・というレベルの物が部屋に溢れている。

今回は昨年設置した棚の下に、さらに2段の棚を追加し、その下にヒゴを置くスペースを確保する計画で、棚に載らない物は廃棄する・・との決意で臨んだ。

結果、ギュウギュウ詰めながらも何とか収まったが、この分だと早々もう一面の壁にも棚が必要な予感・・。
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毎朝庭のキンカンを一個

2017/12/28 09:46
2017年12月29日

夏に実を付け始めた庭の「キンカン(金柑)」がようやく色付き始め、毎朝、美味しそうなのを1個もぎって服でシュシュっと拭いて口に入れているが、今朝は数個収穫できた。

画像まだ樹高が70cm程なので、全体でもが20−30個程しか実を付けていないが、今年は鳥に食べられることもなく、毎朝甘酸っぱい味と香りを楽しんでいる。

キンカンの国内生産量は宮崎県がトップで60%以上、次が鹿児島県と暖かい地方が占め、和名の「金」は実の色、「柑」は「柑子(こうじ)」で”みかん”の古名とのこと。
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線香立てを作ってみました

2017/12/27 09:40
2017年12月27日

画像12月17日のブログに「匂い袋」のことを掲載したが、先日、その時に買った線香(沈丁花)を入れる箱と線香立てを作ってみた。

材料は煤竹(すすだけ)を使用し、大きさは線香の長さに合わせて15cm×幅4cm×高さ3cmとして材料取りを行い、木工用ボンドで接着して大小6枚の板を作る。

画像次に、側板となる4枚の下部に溝を切って底板を嵌め込み、ボンドで固定して箱を組む。

そして、その箱のサイズに合わせて蓋となる板を削り、内側に補強を兼ねた桟を入れて細部を整えれば箱の完成。

問題は線香を立てる筒をどこに付けるかで、当初は蓋の裏側に取りつけて、使う時は蓋を裏返して線香を立てるつもりだったが、これだと箱に入れる線香の量が少なくなるし線香を焚いている間は箱が開いたままになる・・との指摘があり、蓋の表側に付けることにしたが、今度は灰の落ちる向きをどうするかが課題に・・。

画像最初は蓋の上に灰が落ちる向きに付けようと思ったが、これだと毎回蓋を清掃しなければならない・・。

ということで、写真のように箱の外側に向けてみたが、これだと、蓋は汚れないが灰を受ける紙などを敷かなければならないという手間がかかる。

出来栄えの方はともかく、こうやってああでもないこうでもない・・と工夫している時間が楽しい。








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京の町歩き(2)

2017/12/25 09:20
2017年12月25日

今年5回目となる京都の町歩きは、地下鉄二条駅を起点にして、寺社を訪ねながら「わら天神宮」まで北上。

金閣寺はここから目と鼻の先だが、あっさりと踵を東に向けて「千本ゑんま堂」を訪ねる。
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閻魔法王を祀る”ゑんま堂”の正式名称は「引接寺(いんじょうじ)」。引接とは仏が衆生を浄土に往生させることだそうで、この寺の開基とされる平安時代の公卿「小野篁卿(おののたかむら:802〜853)」は、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之廟に仕えて裁判の補佐をしていたそうな・・。

また、境内の北西にある「十重の石塔は」、圓阿上人(えんあしょうにん)が建立した紫式部の供養塔といわれ、至徳3年(1386)の銘があり重要文化財。
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ゑんま堂から北上して標高111.7mの船岡山に上がると、山頂には三等三角点があり、東には左大文字の火床が見え、南には京都市街が一望できた。

船岡山は、応仁の乱(1467)の際に西軍を率いる山名宗全側の武将達が城を築いて立て籠もったことから、船岡山を含めた一帯を「西陣」と呼ぶようになった・・という地名の由来は有名。 
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山上にある「建勲神社(けんくんじんじゃ、たけいさおじんじゃ)」は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社だそうだが、神社から東に見える比叡山が何とも複雑な感じ・・。

画像船岡山から北に下ると今回のお目当ての臨済宗大徳寺派の大本山「大徳寺(だいとくじ)」で、山号は龍宝山(りゅうほうざん)、本尊は釈迦如来、寺の開基は「大燈国師宗峰妙超(だいとうこくししゅうほうみょうちょう)」で、正中2年(1325)の創立。

広大な境内には仏殿や法堂(はっとう)などの中心伽藍のほか、20ヵ寺を超える塔頭(たっちゅう)が立ち並ぶが、多くは非公開で、今回は2ヵ寺を訪ねてきた。

一つは「大仙院(だいせんいん)」で、永正十年(1513)古岳宗亘(こがく そうこう)による開基。
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本堂を取り囲むようにして作られた枯山水の庭園は、北東角に鶴島と亀島の間に不動石と観音石の高い石を配置した蓬莱山が築かれ、そこから三段に流れ落ちる滝はやがて大河となって本堂正面(南側)に広がる大海に流れ込む・・という構成。
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水の流れを白砂で表現し、滝、橋、舟などが全て石で表わされていて見事だが、以前は杉苔で覆われていたそうで、1953年に白砂敷きに復元されたとのこと。

以前はカメラOKだったらしいが、今は禁止になっているのでポスターの写真を代用。

次に向かったのは「瑞峯院(ずいほういん)」で、天文五年(1536)に九州のキリシタン大名として有名な大友宗麟の菩提寺として建立され、枯山水の庭は、昭和36年(1961)開祖である「徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)」の400年忌に作庭されたもので、南・北・西の三庭からなっている
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やや歩き疲れたので、ここから地下鉄鞍馬口駅に向かうことにして、途中にある「妙覚寺(みょうかくじ)」に立ち寄る。

見どころは妙覚寺大門で、豊臣秀吉が1590年に建設した聚楽第の裏門を寛文3年(1663)に移築したものと言われ、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈・唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構とのこと。
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一時は本能寺とともに織田信長の上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も催されていたそうで、往時に思いを巡らせながら門を見上げる。

最後に訪れたのは鞍馬口駅近くにある「上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)」で、桓武天皇の時代に各地で疫病が流行したことから、貞観5年(863)5月20日に平安京の神泉苑で御霊会が催され、この御霊会が上御霊神社と下御霊神社の創祀とされているとか・・。
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鳥居を潜ると、右を指して「応仁の乱発祥の地の碑」とあったので、参拝後に行ってみたが、石碑が置かれているだけ・・。

解説板には、文政二年・応仁元年(1467)1月18日、この地に陣を敷いた東軍の畠山政長(はたけやままさなが)を西軍の畠山義就(はたけやまよしひろ)が襲撃して「御霊合戦」が起こり、これが発端となって11年間にも及ぶ応仁の乱が始まった・・とあった。

今回のコースは観光客も少なく、外国人を見かけることも少なかったなぁ〜と思いながら、地下鉄鞍馬口駅に向かう。

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京都の町歩き(1)

2017/12/24 08:58
2017年12月24日

22日は、今年5回目となる京都の町歩きに行ってきた。

今回は西陣を中心とした界隈で、JR六地蔵駅から地下鉄に乗り、二条駅で降りて千本通りを北に歩きはじめると、すぐに朱雀門跡、大極殿跡の石碑が目についた。
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この辺りは平安時代の平安宮(大内裏)があった所で、発掘により規模は東西1.1Km、南北1.3Kmで、周囲を築地塀と濠に囲まれていたそうだ。

すぐ先を西に進み、近頃では珍しくなった風呂屋の煙突を見上げながら「法輪寺(ほうりんじ)」に向かう。
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法輪寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で、通称「だるま寺」の名で親しまれ、お堂に納められた巨大な達磨と、本堂南側の苔に覆われた枯山水の庭などを見学。

大気はキーンと冷たいが、快晴無風の散歩日和で、路地をクネクネ歩きながら北東に進んで、日蓮宗の本山「立木寺(りゅうほんじ)」に立ち寄ってから、千本通りの東にある「浄福寺(じょうふくじ)」へ。
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浄福寺は延暦年間(782〜802)に天台宗の寺として建立され、 室町時代末期に浄土宗を兼ねるようになり、その後何度か移転を繰り返し、元和元年(1615)に現在の場所に定まったが、その後火災などにより、本堂は享保18年(1733)から18年かけて再建されたとのこと。本尊は阿弥陀如来。

寺には南と東に門があり、東の四脚門には朱塗りが施されていることから「赤門」と呼ばれ、寺も「赤門寺」の愛称で呼ばれているとのこと。

赤門を出て北に僅かに進んでから、再び西に方向転換して「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」に向かう。
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大鳥居の左右には初詣の幟が掛けられ、境内の三光門にも大きな犬の絵馬が掲げられていて、正月準備が整えられていた。

北野天満宮の創建は平安中期の天暦元年(947)で、菅原道真公を祭神としてお祀りする全国約12,000社の天満宮、天神社の総本社・・というから何ともスゴイ影響力。

画像家内安全と健康をお祈りした後は、境内の西側に残されている「御土居(おどい)」を見学する。

御土居は、天正19年(1591)に豊臣秀吉が洛中洛外の境界と水防のために築いた土塁で、前回の町歩きでは鷹峯(たかがみね)の手前に残されている北西角の御土居を訪ねたが、そこから鷹峯を水源とする紙屋川にそって南下し、川の東岸に土塁が築かれていたようだ。

御土居から紙屋川を渡る遊歩道が通れなかったので、境内を出て西隣の「平野神社(ひらのじんじゃ)」へ移動。
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平野神社は延暦13年(794)の平安遷都の際、大和からこの地に遷座され、現在の社殿は寛永年間(1624-44)の造営で、伊勢神宮、松尾大社などとならぶ格式ある神社・・。

境内には樹齢400年の楠の巨木があり、その根元に日本最大の「すえひろがね(重さ200kg、高さ80cm、厚さ27cm)」という石が置かれていて、磁石がくっついていた。

”すえひろがね”は、餅鉄(べいてつ)とも呼ばれる磁鉄鉱で、鉄分は70%。

岩手県産で、古来より不思議な力を持つ石と伝えられており、私も石を撫でてパワーを授かった。

画像平野神社から北上すると、「わら天神」という変わった名前の神社がある。

正式名称は「敷地神社(しきちじんじゃ)」というそうで、応永四年(1397)足利三代将軍義満が、この地に古くからあった北山の神と、その西隣に祀られていた「菅生石部神(すごういそべじんじゃ)」を合祀して、現在の地に移転したとのこと。

そして”わら天神”の名は、古来より稲わらで編んだ籠に神饌を入れて神様にささげていたが、その抜け落ちた藁を安産を願う妊婦さんが持ち帰るようになったことから、安産の守り神として「わら天神」の名が定着したそうだ。(明日に続く)
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猫のクリスマス

2017/12/23 08:52
2017年12月23日

写真は、我が家の2歳8ケ月になる猫の”茶々丸”が、お気に入りの窓から外を見ているところだが、1週間程前からクリスマスの飾りつけを行なっていて、日が暮れると電飾がチカチカと点滅している。

画像言うまでもなく、猫がこれらの飾りつけを喜ぶはずがなく、「僕のお気に入りの場所に変な物を置いて迷惑だニャー」という声が聞こえてきそうな感じ・・。

最近は猫ブームやインスタ映えなどにより、ペットが衣装を着せられたり、ポーズをとらされたりと大変だが、これも人間に癒しを与える仕事・・と割り切って、少しの間我慢をしてくれニャー。

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昨日は公民館でミニ門松作り

2017/12/20 10:27
2017年12月20日

今朝、昨日公民館で行った「ミニ門松作り」の写真をPCに撮り込もうとしたらトラブルが発生し、1時間の悪戦苦闘で何とかクリアでき・・・フーと大きなため息。

画像公民館行事として毎年行っているミニ門松作りは、昨年までは他のサークルが行っておられたが、高齢化などの理由から、今年は私が所属する竹工房が担当させていただくことになり、先日から「モウソウチク(孟宗竹)」と「トウチク(唐竹)」を採集、洗浄、切断し、ナンテン、ウメ、マツ、ササ・・等を採集して準備。

昨日は申し込みのあった男女21名と、サポート役として会員7名が公民館のホールに集まり、作り方を簡単に説明してから作業開始。

画像最初は山と積まれた材料の中から気に入ったものを取りそろえ、器に三本の竹を少しずらせて立てながら高さを決め、鋸で切ってバンドで固定する。

次に、器に経てた3本の竹の回りにオアシス(園芸用吸水スポンジ)を入れ、スポンジに差し込みながら飾り付けしていくのだが、この辺りから手が止まり始め、「何から飾ればよいですか・・」といったお訊ねも。

画像そんな時は「前に飾ってある見本を参考にして下さい・・」という事にしているが、行ったり来たりしているうちに個性的な自分だけのミニ門松が出来上がって行く・・。

そして、1時間程で飾り付けを終えると互い鑑賞し合い、会場は笑顔と歓声に包まれていく・・・。

参加者の皆様、会員の皆様お疲れ様でした。




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スズバチの巣

2017/12/19 08:33
2017年12月19日

先日、写真の直径3cm程の土饅頭のようなものを見つけ、近くにいた方に尋ねると「ドロバチの巣だ」と言われた。

画像帰って調べてみると「スズバチ(鈴蜂)」の巣で、これまではドロバチ科に分類されていたが、最近スズメバチ科に分類されるようになった・・とのこと。

巣の中には幼虫の入った数個の部屋と、スズバチの親が狩ったシャクトリムシが収められていて、幼虫はこのシャクトリムシを餌にして成長するらしい。

巣は個々の部屋を作った後、全体を荒い砂の壁で覆う・・という二重構造になっていて、これは寄生バチから幼虫を守るためだそうだが、この土饅頭の中に幼虫(ウジ虫状)とシャクトリムシがいるかと思うと何とも不思議。

和名は、蜂の腹部の第1節が細長く、第2節以下が丸く膨れていて鈴を思わせる・・という説と、壺状の巣が鈴のような形をしていることに由来する・・との説が見られた。
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一足早くミニ門松をつくりました

2017/12/18 08:39
2017年12月18日

昨日は私が所属する竹工房の会員13名が集まって、恒例のミニ門松づくりを行った。

画像今年は会員分の他、公民館と梅谷カフェで行うワークショップの分を含めると100個近く必要とあって、材料を準備するだけでも大変だったが、器になる「モウソウチク(孟宗竹)」とその中に立てる「トウチク(唐竹)」を手分けして電気丸鋸で切断し、水洗いして午前中に何とか完了。

午後からは会員が必要な分の飾り付けを行い、私は自宅用と家内のお友達用に2個作った。

作り方は簡単で、午前中に準備した直径12-15cm程のモウソウチクの中に、直径3cm程のトウチク3本をまとめて立て、隙間にオアシス(生け花用給水スポンジ)を詰め、ウメ、マツ、ナンテン、センリョウなどを、ああでもないこうでもない・・と言いながら飾り付けていけば完成・・。

家に持ち帰って玄関に置くと、一足早い正月気分が広がった。
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匂い袋を調香

2017/12/17 08:43
2017年12月17日

14日のブログでも紹介した「梅谷カフェ」では、16・17日を「五感で感じる二日間」と題して、木津川市の鹿背山焼、加茂焼などの紹介、精細な根付作品の展示、お香のワークショップと匂い袋体験・・などが催されていて、16日に家内と一緒に行ってきた。

私のお目当てはお香で、自宅でも東寺の骨董市で買った香炉でお香を焚いたりしているので興味があった。
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出店されていたのは淡路島から来られた線香協同組合の方で、14人の香司(こうし)の方々で組織されているとのこと。

調べてみると、香司とは自らのプライドと磨き上げた技を以って、調合から仕上げまで、お香作りに関する一切の責任を担う人のことを指す・・香りのマイスターとあった。

画像家内は匂い袋の体験を申し込み、七種類の天然香料=ラベンダー、丁子(ちょうじ)、白檀(びゃくだん)、桂皮(けいひ)、山奈(さんな)、茴香(ういきょう)、龍脳(りゅうのう)=の中から、小さじ1杯の龍脳と他4杯を調香して、袋に詰めていただいた。

私も10種類程の香りを楽しみながら「どれにしようか・・」と迷った結果、金木犀の線香を分けていただいた。

そして、使用する前に、線香を入れる容器と線香立てを作ってみよう・・と思った次第。


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